home

「絵に描いたもち、炭焼きのとうもろこし」(2023)

やきものをやるために、七輪と炭を携えてバーベキュー場に行くようになった。

都会の中で堂々とやきものをやるには、やきものをやっている顔をするより、バーベキューをやっている顔をした方が、都合が良かった。本物のバーベキューをやっている美味しい匂いのするグループがあちこちにいる中でなら、煙がもこもこと立っていようと、土がはぜてパーンとなろうと、放っておいてくれた。やきものを焼く準備と食べ物を焼く準備が同じであるのはおもしろい。やきものを焼くのか、食べ物を焼くのか、火を起こしてから決めれば良い。どちらも火を介して、美味しく美しくなるのだ。


進化の歴史の中で、人類がいつから料理をし始めたかを語る説には幅があると知った。

火で食べ物を焼いて食べる、という営みの証拠を残すのはそれほどむずかしいということだ。焼くほどに食べ物はやわらかくおいしくもろくなってしまう。一方で焼かれた土は、歴史を解き明かす手がかりになるほどに時を超えて残っていく。

消えてなくなってしまう食べ物と、ずっと残っていくやきもの。

相反するこの二つのものが、同じ火で焼き上がるなんてたまらなくロマンチックだ。


絵に描いたもち。

食べ物のことを、食べるという営みの形を、つかまえるにはどうしたら良いのだろう。

同じ火で焼き上げたとうもろこしのやきものは、絵に描いたとうもろこしよりも、木で彫ったとうもろこしよりも、写真に撮ったとうもろこしよりも、本物のとうもろこしに少しだけ近づけただろうか。」(2023年11月)